肥満の遺伝的かたよりを説明する最初の試みは倹約遺伝子仮説である。
それは1970年代に一般的になった。この仮説では、すべての人間が進化的に生き残るメカニズムとして体重を増やす傾向を持っているとしている。
議論はこのように進む。
旧石器時代、食べ物は少なく手に入れるのは困難だった。飢えはもっとも強く基本的な人間の本能の一つだ。倹約遺伝子はわれわれにできるだけ食べるように強制する。そして体重を増やすこの遺伝子を持っていることは生き残るうえで有利である。
体の食べ物の蓄積(脂肪)を増やすことは食べ物が少なくなったときに、より長く生き残れる。それらを蓄える代わりに、カロリーとして燃やす傾向のある人々は選択的に取り除かれてきたのだとする。
しかし倹約遺伝子は現代の何でも食べられる時代に適応すると、体重を増し、肥満になるにつれて病気になってしまう。
しかし我々は単純に脂肪を増やせという遺伝子の勧めに従っているのだ。
この倹約遺伝子仮説の欠陥を考察する。
最も明らかな問題は、野生の状態で生き残ることは体重が少ないのも多すぎることにも左右されない。
太った動物は動きが鈍く痩せた仲間より機敏ではない。
捕食者は捕まえるのがより難しい痩せた獲物より、太った獲物を好んで食べるだろう。同じように太った捕食者はやせてすばしっこい獲物を捕らえることはより困難であるとわかるだろう。体の脂肪は必ずしも生き残るうえで利益があるわけではなく、かわりに非常に不利益にもなりうる。
太ったゼブラやガゼルがいますか?
太ったライオンやタイガーがいましたか?
人間が遺伝的に食べすぎるように仕組まれているという仮説は正しくない。ただ空腹のホルモンの信号に従ってたくさん食べたら、食べるのやめる時ををわれわれに伝えるたくさんのホルモンがある。
食べ放題のセルフサービスの食事のことを考えてみよう。
お腹いっぱいになってしまうので単純にやめずに食べ続けることは不可能だ。
食べ続ければ気分が悪くなるかもどしてしまうかもしれない。
たくさん食べさせる遺伝的傾向などはない。
代わりに食べすぎに対して強力な防御機構が内蔵されている。
倹約遺伝子仮説では慢性的な食糧不足が肥満になるのを妨げていたと仮定している。
しかし、伝統的な社会では一年中豊富な食糧があったところはたくさんある。
例えば、トケラウ、南大西洋の辺鄙な部族ではココナッツやパンノキ、魚などで生活しているがこれらは一年中手に入れられる。
にもかかわらず産業が興り伝統的な食事が西洋化するまでは、彼らの中に肥満は見られなかった。現代の北アメリカでさえ、大恐慌以降広範囲な飢饉は一般的でない。
しかし肥満の増加は1970年代だけから起こったのだ。
野生動物の世界では、正常な生活サイクルの部分として例えば冬眠するような場合を除いて、豊富な食糧があるときでさえ病的な肥満はまれである。
豊富な食糧は個体数の増加をもたらすが、サイズを巨大化させたりはしない。
ラットやゴキブリで考えてみよう。食べ物が減ればラットの数が減り、食べ物が増えればラットの数は爆発する。正常以上の大きさのラットは多くなるが、病的な肥満のラットではない。
非常に高い体脂肪率を持つことは生き残るうえで利点はない。
男性のマラソンランナーは5%から11%の体脂肪だ。この量でも一か月以上食べないで生き残るのに十分なエネルギー量である。
ある種の動物は定期的に太る。例えば冬眠に入るクマが定期的に体重を増やすがそうしても病気にはならない。
しかし人間は冬眠はしない。太ることと肥満であることでは重要な違いがある。
肥満は健康上有害な結果をもたらすまで太っている状態である。
クマにくわえてクジラやセイウチなど、他の脂肪を蓄えている動物は肥っているが健康上の問題がないので肥満ではない。彼らは実際、遺伝的に太るようにプログラムされている。
我々はそうではない。人間において進化は肥満に対して好意的ではなく、むしろ痩せている方を好む。
倹約遺伝子仮説では肥満症の説明にはならない。
では何が説明できるのか?
肥満の根本的原因で主役となるのは、高インスリン血症による複雑なホルモンバランスの乱れである。
赤ん坊のホルモンの輪郭は、生まれる前の母親の体の中での環境に影響され、高いインスリンレベルの傾向に設定されると、のちの人生での肥満に関連してくる。
カロリー不均衡としての肥満症の説明では、食べることや運動することは自発的な行動であるので、単純にいってこの主とした遺伝子的効果を考慮に入れることができない。
肥満症がホルモンの不均衡によるとすると、より効果的にこの遺伝子効果も説明できる。
The Obesity Code より